私はかつて人間の完成を目指して生きていた時期がある。
全ての分野を完璧に極め、自分を完成させる。
そんな生き方に強い憧れを持っていた。
でもそんなものを目指しても幸せになれないことに気付き、完成などというつまらないものを人生の軸にするのをやめた。
先日、ふと気になって昔私が持っていたこの軸について、複数の内観の先生に聞いてみた。
「私は昔、神様になることや人間を完成させることを目指してたんですけど、この生き方ってどう思いますか?」と。
もう見事なくらい全員失笑だった。
「早くに気付いて良かったね。そんなもの目指しても幸せではなかったでしょ?まぁ典型的な無価値感だよね。」と。
人間って本当に短絡的な発想をする生き物で、親にずっと否定されて育つと、じゃあ何かの価値をつければ親に認めてもらえるんじゃないかと思って、それなら神様になれば認めてもらえるんじゃないかとか、自分を完成させれば認めてもらえるんじゃないかとか、本気で思い始める。
だけど、その思いはいつの間にかすり替わって、自分を完成させるための大義名分を持ち出して、さも人間の完成が生き方の哲学であるかのように錯覚を起こす。
単に自分の無価値感からそうしているだけなのにね。
私もいつからこうなったのかわからない。
でも少なくとも16歳から23歳まではこの思考に憑りつかれていた。
普通なら友達が指摘してくれるはずだけど、まともに友達もいなかったし、出来るだけ社会と関わらないようにしていたから、自分ではその歪みに全く気付けなかった。
そして少なからず、私と同じような呪いを持っている人は、実は結構いる。
一般的には完成ではなく、完璧という言葉を使う人が多いけれどね。
こういう呪いは気付くのが早ければ早いほどいい。
だってもし60歳で気付いたら、もう人生の大半は取り戻せないから。
自分の間違った思い込みや軸や呪いというのは、他者からのフィードバックや反応で気付くことがとても多い。
なので、あまり人と深く関わらず、仲の良い友人や本音を語り合える仲間がいない人ほど、一生自分の過ちに気付けないことになる。
仮に私がこの呪いに60歳まで気付けなかったとしたら、もうその時点で人生を諦めて、詰んだ自分を放棄して残りの人生は惰性で生きていくだろうなと思う。
一番悪いのは子供を否定した親。
でも、その親をいつか乗り越えなくてはいけない。
何故なら人間の完成を目指しているうちは、ずっと親の呪縛の中にいるままだから。
