何を言うかより誰が言うかは本当に重要なのか

先日、与沢翼さんのYoutubeのライブ配信を見ていたら、与沢さんがこんな事を言ってたんですよね。

「最近、“何を言うかより誰が言うかが重要”って言われることが多いけど、俺はそうじゃないんじゃないかなって思っていて。

言葉って無名の人でも本質を突いてることを言ってる事ってたくさんあって、誰が言ったかわからないけど、実績のない人でも残ってる言葉でいい言葉ってたくさんあるんだよね。

俺はそういう言葉も大切にしてるから、誰が言うかが重要なんじゃなくて、中身や内容が素晴らしいと思えば俺はその言葉に感動するんだよね。

だから、誰が言ってるかなんてのは関係ないんじゃないかって思うんだよね。

実際、最近見つけていいなと思って心に響いた言葉も、フォロワーなんてほとんどいないようなアカウントの投稿も多いからね。」と。


これを聞いて、私も同感!と思って、100回くらい頷いてしまいました。

私も昔イギリスに行った時、そこで「人生に良いも悪いもない。ただ出来事があるだけだ。」という言葉に出会っているのですが、この言葉って小さな田舎町に落書きのように書いてあって、誰が書いたかは全くわからないんですよね。

いわゆる作者不明みたいな。

でも、私はこの言葉に出会ってから、20年以上この言葉を大切にしていて。

こういう体験があると、誰が言ったかってそんなに大事かな?って思うんですよね。


あと、長渕剛さんもこんなことを言っていたんだけれど、

「俺は自分が作った歌は、歌だけが残ってくれればいいと思っている。

長渕が作ったなんてのはどんどん風化してみんな忘れてくれていい。誰が作ったかわからないけど歌だけが残って、俺が死んだ後も誰かが乾杯とか口ずさんでくれていたら、それが一番嬉しいよね。」

みたいなことをインタビューで語っていたのを見たことがあるんですが、まさにこの感覚なんですよね。

誰が言ったとか誰の歌だとかは関係なくて、その言葉の美しさや素晴らしさだけが残る。

この感覚を大切にしている与沢さんの感性ってやっぱり素敵だなと思って、とても共感したんですよね。

その時すかさずライブ配信のコメントで、「誰が言ったかが重要なんてのはただのポジション取りですよ。」と身も蓋もないことを書いている方がいて、さすがに笑ってしまいましたが(笑)


でも、わかる。

みんな「何を言うかよりも、誰が言うかの方が大事」という言葉に洗脳されてませんか?

私はね、仮に自分が思いついたことでも、自分の代わりに誰か同じことを言ってくれる人がいたら、別に自分じゃなくてもいいと思ってるんですよね。

むしろ誰かが代わりに言ってくれるなら、自分は言わなくてもいいみたいな。

私がこのブログで書いている内観の内容とかも、必ずしも私が発言することにこだわりがあるわけではなくて、偶々私と全く同じ経験をして、その方が代わりにその体験を伝えてくれるなら、私はあえて喋らなくてもいいと思ってるんです。

この感覚わかる方います?


そしてもう一つの懸念は、誰が言うかに縛られることによって、自由性が失われること。

「誰」に囚われると、この人の言う事だから間違いないみたいな無条件に妄信する人が必ず出てくるので、その時点でもう思考が停止してしまうんですよね。

Aさんが言ってるんだから間違いないと。

そうなると、これは果たして本当なのか?と確認することはもうなくなるわけです。

仮にもし、その人の認知が凄く歪んでいたら、その人の話を聞いているうちは、自分も同じように歪んでいくし、「誰」にこだわっているうちは、その人の発言が仮に間違っていた場合、その考えを自分にトレースして、人生丸ごと詰む可能性だってあるわけです。


私は今は認知の歪みを正していることもあり、むしろ「誰」よりも「何」を重要視しています。

例え権威のある人でも、間違ったことを平気で言うので、逆に何を言ってるのかの内容の方をしっかり見ないと、ミスリードされる可能性が高いからです。

これを人で選んでしまうと、その人がとんでもなく歪んでいて、その人の発言を丸ごとトレースすることによって、自分も一緒に歪んでしまうことにもなりかねないから。

「誰」にこだわる方が危ないんですよね。


それに、その「誰」が本当に信頼出来る人なのかどうかを判断するのも難しいので、私は内容重視で判断しています。

過去振り返っても、「誰」よりも「何」に響いてきたし、私がイギリスで出会った「人生に良いも悪いもない。ただ出来事があるだけだ。」という言葉も、仮に近所の小学生が言っていたとしても感動してメモを取ってると思いますしね。

これは人によってどちらを大事にするかは分かれるところだとは思うのですが、私は「誰」よりも「何」を優先して生きているので、もし同じような考えの人がいれば嬉しいなと思います。

私は基本、大衆とは逆を行く少数派なので、共感してくれる人は少ないかもしれないですけどね。