内観の師匠から「七つの習慣を熱心にやり込んだら倒れて死にかけた」という話を聞いて爆笑したちょこです、こんにちは。
この話は過去にも何度か聞いたことがあったんですが、改めて聞くと当然の結果だよねという話で。
自分の人生をどうにかしたくて、スティーブン・R・コヴィーの「七つの習慣」を真剣にやったことがある人って多いと思うんですが、結局これも自己受容が出来ていない人があの本を丸ごと実践すると、全く上手くいかないどころか、余計に苦しくなって倒れるんですよね。
別に七つの習慣に限らないけど、世の中にある成功法則みたいな本って、どれだけ名著だったとしても、前提が間違ったままやると、本当にうまくいかないですから。
何事もまずは自己受容からと私は何度も言っていますが、自分をしっかりと受容出来ていて、自分が何者であるか、自分はどんな人間なのかを理解した上で取り組まないと、余計にこじれるだけなので。
本を読み込みながら、自己を確立していこうとするから、おかしくなっちゃうんです。
まず確固たる自分があったうえで、本の内容を実践していかないと、ひたすら迷走して最悪の場合、私の師匠みたいに倒れます。
まぁ、もっと身も蓋もないことを言ってしまえば、こういう本に縋らなければいけないような自分を何とかする方が先じゃないの?と。
内観が進んで自己受容が出来て、心から幸せを感じられるようになると、人生哲学とか成功法則の本なんて全く読まなくなるんですよね。
そういうものが必要なくなるから。
結局、哲学書も心理学の本も成功法則の本も、自己受容が出来ていない人が欲するようなものなので、
私はこのままの自分でここに居ていい
という感覚が完全に腑に落ちていたら、成功法則なんていらないんですよね。
大事なのは、
自己受容
自己一致
この2つ。
私はこのままの自分でここに居ていいという感覚があって、自分がちゃんと統合されていれば、もう成功哲学の本なんて読まなくなるんです。
統合っていうのは、表の自分と裏の自分が乖離してないってことね。
自分をデフォルメして本当の自分で生きれていないから、自分を統合させるために、自分の魂が成功法則みたいな本を欲するわけです。
一日も早く自分を統合して欲しいから。
私も散々読みましたよ。
自宅の本棚は哲学書と心理学の本と自己啓発の本で埋め尽くされてましたから。
でも今は内観の師匠の本しか入っていません。
そしてそれすらも読むことはほとんどないです。
そうなるんですよ。
自分を統合すると。
成功哲学の本を読んで素晴らしき自分になろうとしてませんか?
だとすると、根っこにあるのは自己否定ですからね。
今の自分はダメだと否定して、もっと素晴らしい人間になろうとする。
スタートがこうなっていたら、それは苦しくなります。
だから、仮に七つの習慣を実践するとしたら、「何のためにそれをやるのか」ってところ。
その目的が明確じゃないと、おかしくなります。
というか私はなりました(笑)
で、回り回って結局自己受容が全てだったみたいな。
本当にギャグみたいな道を辿ったんですよ。
だからみんなにはそうならないで欲しいです。
自分が何者なのかを明確にするために本の内容を実践するのではなくて、すでに自分が何者なのかがハッキリと分かっている人が読む本ですからね。
七つの習慣は。
そこが逆になって、本を頼りに自分を探してしまう人が多いので要注意です。
で、最終的には自己受容が出来てしまうと、それすらもいらないということ。
なので、七つの習慣はすでに自分というものをしっかり持っている人のための本であり、これから自分とは何かを知るステージにいる人には向かない。
本を読む前にまず自分とは何かを知っておく必要があるってこと。
自分とは何かを知らないと、その自分を良くすること、整えることは出来ないし、自分とは何かを知らないままに、法則だけを自分に当てはめて整えようとするからおかしくなる。
自分のどの部分を整えていいかもわからないのに、自分を整える方法だけ学んで取り組むから、結局何を目指しているのか迷子になるし、私の師匠もそして私自身もこの沼にハマったんですよね。
だから人格を整える前に先に己を知る。
そして、自分をデフォルメして生きている人だったら、先にその仮面を外してからやらないと、デフォルメしている自分の方の自己を確立することになってしまうので、ベストセラーで売れてる本だからと言って、安易に参考にすると結構痛い目に遭うよと。
何かそんなことを思ってみたわけです。
皆さんはどんな目的で本を読んでますか?
目的が間違っていたら、どんなベストセラーの本であってもミスリードにしかならないので、読書をする時は何の目的でその本を読むのかを明確にしてから読むようにしてみてください。
