絶対的な神様は存在しない

今日、最新のメルマガで届いたある起業家さんの音声を聞いていたら、また来ました。

思い込みの破壊シリーズです。


その起業家さんが音声で話してくれていたのは、

・全知全能で絶対的な神様というのは僕は存在しないと思っている

・一神教のような絶対的に正しいものが1つだけ存在するという構造自体に無理がある

・絶対的なもの、全知全能のような存在を目指すこと自体がもう生き方として間違っている
(と彼は思っていて、少なくとも土の時代はその生き方でも良かったかもしれないけれど、今の風の時代以降はもうそういう生き方は意味がない、と。)


もう、また来たよ。

またこの話だよ。

何度も人を変えて同じ話を繰り返さなくていいよ。

もうわかったよ。

と今日も悶絶していました。


もう神様的なる存在は絶対に目指さないから、いい加減勘弁してよっていうくらいこの私の思い込みに関して周りからの凄まじい破壊が始まっているので、相当参っています。

潜在意識が抵抗して頭痛はするわ、眠気は酷いわで、ぐったり。

私はこのブログでもよく「気付くのと腑に落ちるのは違う」と言っているのですが、自分の生き方の間違いに気付いてはいても、それが腑に落ちるまで容赦なく思い込みの破壊って続くんですよね。


で、実は今日のブログのタイトルにも書いた「絶対的な神様は存在しない」については、かつて私自身が体験してるんですよね。

その昔、30歳で臨死体験をした時に。

その時、私は臨死体験で神様に会っているのですが、その時に私が見た神様というのは、全知全能な絶対的な存在がいたのではなく、この宇宙そのものが神だったんです。

空であり太陽であり空気であり水であり、この地球に存在する全てのものが、私が見た神だった。


あれ?これって八百万の神やアニミズムのような考え方こそが、本当の神なんじゃない?

ということは、特定の絶対神がいるわけではなく、あらゆるものに無数の神々が宿ると考えた方が自然なのかも。

と、その時思ったのです。

そんな体験をしていながら、それでも私は母親の呪いに縛られ続け、完成された人間になることにまだ憧れていた。


でも今回の起業家さんの音声のように、全知全能で絶対的な存在はいないと思っているとハッキリ言ってくれる人がいると、自分の思い込みにまた一つヒビが入るわけです。

こんな風に、自分にとって強力な思い込みというのは、一度に簡単に外れるのではなく、時間をかけて少しずつ外れていきます。

その度に何度も辛いダメージを負いながら。

親が子供に刷り込むもの、そして子供が勝手に解釈して、それを信念として持ち続けてしまうものって、本当にろくでもないものばかりです。

別にどんな生き方をしても自由だけれど、もし40歳以上ですでにその生き方が苦しい、もしくは今幸せでないなら、今背負っている信念をそっと下ろしてみてもいいのかなと思います。