みんなで同じ理想世界を歩くことへの違和感

コミュニティの定義の一つに「みんなが同じ志を持って同じ理想世界を歩くこと」というのがあるらしい。

この感覚を私は昔から気持ち悪いと感じていた。

私が思うコミュニティとは、全く違う意見や価値観を持った人たちが多種多様に集まり、気軽にディスカッション出来ることだと思っている。

一つのコミュニティに同じ理想を持った人しかいないのって気持ち悪くない?

いいんです、私は昔から少数派なので、多分この考えも少数派のはずです。


でも、この感覚って女性ならわかると思うんですが、狭い村のコミュニティの中で、例え派閥が起きようが嫌な人がいようが、みんなで井戸端会議をしながら、

小さな村の中で男性たちが狩りに行っている間、どうにか村のコミュニティを守ってきたのが女性たちだったと思うんですよね。

その時、全員が同じ理想を持っていたコミュニティなんてなかったと思うわけです。

だから人間というのはむしろ、異質なものと戯れることによって、脳を少しずつ進化させてきた歴史があるわけです。

理想世界なんて所詮、ぬるま湯。


それよりも、全く温度感の違う相手と火傷するくらいのディスカッションが出来る方が真のコミュニティだと私は思っているんです。

世の中には色々な人間がいるという中で作られる免疫、異質な者同士が集まる真の多様性の中でしか本当のコミュニティは作れないと私は思うからです。

自分の理想と違う人がいても、その人も輪の中に入れる。

だって理想を一つに絞っちゃうと、その理想から外れた時点で、その人はもう仲間外れになっちゃうから。

同じ志とかみんなで同じ方向を向くというのは、私は必ずしも良いコミュニティの形ではないのではないかと思ったりしています。


実際、私が普段所属している複数のコミュニティは、みんな志はバラバラで一つも一致していません。

それくらい個性が強くて激しい人が集まっている。

でも、とても平和です。

理想を統一するのではなく、複数の思想を感受出来る自分になること。

だって例え夫婦ですら、同じ理想世界を歩くなんて無理なんですから。

私は昔から一致団結という言葉が嫌いなので、もしかしたら今回の内容は単に私の拒絶反応から来ているのかもしれません(笑)