「人間の完成」についての掘り下げ

今日もまた私が長年苦しんでいた「人間の完成」というテーマについて深く掘り下げていた。

このテーマは私の人生の軸でもあったものなので、そこを深く掘り下げることが毎回辛くて、内観をしていると酷い頭痛がする。

でもハッキリとわかっていることがある。

「人間を完成させる」という呪いを外した瞬間から景色が変わる。

そもそも自分を完成させたいという思いこそが親の呪いであり、私は以前からここを深く掘り下げて言語化していた。


しかし今日改めて思った。

自分を完成させたいと思うことが問題なんじゃなくて、自分を完成させたいという思考に至った幼少期からのそのプロセス自体にとても問題があること。

ここを丁寧に見ていく必要があること。

何で自分を完成させたいなんて思ったのか?

何で神様になりたいなんて思ったのか?

何で完璧とか万能とか全知全能とかコンプリートとか網羅みたいなものに憧れたのか?

なぜ世界中にある全ての情報を網羅し、ありとあらゆる知識を身に付けたい、全てを知りたい、把握していたいと思うようになったのか?

そんなものを目指して本当に幸せなのか?


私以外にも、「人間の完成」というものを目指して生きている人は他にもいて、そういう人たちを観察していると、残念ながらとても幸せそうには見えない。

私は16歳から23歳まで神様になりたかった時期があり、その後も万能感や全知全能な存在にとても憧れた。

だけど、こういうマインドセット自体が自分自身を幸福とは真逆の方向へ進ませていたことに気付き、私は自分の軸を容赦なく破壊して崩した。

ねぇ、あなたは一体何を目指してるの?って思った。


呪いというのは、それが絶対だと信じて疑わないので、まず自分では気付けない。

「あなたの生きる目的は何?」と聞かれて、「私は人間の完成を目指しています」と答えた時、相手が明らかに引いた空気を感じて、

そこで初めて自分の思い込みにヒビが入り、もしかして自分のマインドセットってズレてるのかも?って気付けるのだ。


人間の完成を目指す生き方を人生の軸にしていた人は、ここを崩されたら、もう残りの人生何のために生きて行けばいいかわからなくなるだろう。

しかし親の呪いを解くというのは、大袈裟ではなく命懸けなのだ。

実際私は初めて、人間の完成を目指す生き方自体が親の呪いであることに気付いた時、ショックでこの世から消えたくなった。

完成を目指すことこそが正義であり、真実の道だと信じて疑わなかった私の信念が崩壊した瞬間。

この人間の完成という呪い以外の何物でもない生き方を崩壊させ、その崩れた世界からもう一度自分を救い上げる時、そこから初めて本当の人生が始まるのだと思う。